「「心」のトレーニング」


 
『生き残る技術』小西浩文著(講談社α新書)に・・・「私が標高8,000メートル峰という「死の地帯」に挑み続けてきた中でつかんだ"真理"・・・その真理とは「人間は困難がないと成長できない」・・と書いてあります。著者のいう困難とは「目の前に立ち塞がっている現実」のことです。
 著者は登山家で、8,000メートル級の山を無酸素登頂に成功してきた人ですが、8,000メートル級の山を無酸素で登ることが、著者にとっての限界への挑戦なわけです。私には、その大変さは想像してもわかりません。困難はひとそれぞれに違うのだと思うのですが、それを乗越えるとどうなるのか。
  著者は『「心の有り様で世界が180度変わる」ということが感じられる』そして『心が変われば、あなたが見ている「世界」は一変する』、『限界を超えるために大切なのは、「心」の問題なのだ。』と書いています。
  そして、もうひとつ著者は限界を超えると、『つまり限界を超えれば、これまで縁がなかったような人と巡り会えるようになる。』、『なぜなら、目に映る世界が変われば、行動も変わる。話す内容も変われば、興味の対象も変わっていく。当然関わっていく人々も変わっていく』もうひとつ重要なものに、「人の思い」つまり限界を超えられたのは、自分の力だけではなく、多くの人の協力があって達成できたのだということの感謝の意を感じるという。
  著者は登山家なので、体力の限界に挑戦することで、感じ取ったものです。私は困難の捕らえ方には3つのタイプがあると思っています。ひとつは、困難として捕らえる人、ひとつは困難を感じない人、ひとつは困難がわからない人です。
  受験を取って考えてみると、困難とは自分が作り出したものであって、他人には関係ないといえるかもしれません。たとえば自分にとって難関な学校を受験することは困難であっても、トップレベルの生徒にとっては、困難なことではないだろうし、受験しない人にとっては、まったく困難なことはないのです。
  この本の著者が言っている「人は困難がないと成長できない」というのは、受験しない人にとっては関係ないことのように思えるのですが、決してそうではないと思います。「別なたちはだかった現実」があるのですから、それに立ち向かっていかなければ成長がないということです。
  では、困難にはどう対処すればいいのか。そのヒントが「心の捉え方」としての「あきらめない」だと思います。この「あきらめない」が、困難が予想を超えたものであったら、どうでしょうか。どこまで持ちこたえるでしょうか。「あきらめない」がどこまで通用するかです。
  これもすぐあきらめる人、あきらめないでがんばるけど、途中であきらめる人、最後まであきらめなかった人に分かれます。最後まであきらめなかった人と、すぐあきらめてしまう人との差はどうして生まれるのでしょうか。私は日々の「心」の差だと思います。著書では「心」のトレーニングと書いていますが、この著者は365日24時間「心」のトレーニングを続けていると書いています。
  「心」のトレーニング、著者は「ネガティブな感情に引っ張られず、心を平静に保つ」トレーニングだそうです。日々そのトレーニングを積むことが困難を乗越える「心」の持ち方「あきらめない」気持ちにつながっていくのだと思います。
  すぐに結果のでない「心」のトレーニング、どんな方法があるのかわかりませんが、私は、「我慢すること」もひとつの「心」のトレーニングだと思っています。