「こんな一年」


 仏教は、紀元前5世紀にインドでうまれ、ひとつは中国、朝鮮、ベトナム、日本へと伝わった北伝の仏教、大乗仏教で、南周りで伝播していった仏教が「テーラワーダ仏教」というのがあるのですが、僕はこれを最近読んだ「くじけないこと」という題の本で知りました。
 この本の目次の中で、「時間との戦いの中でできること」を読むと、・・「忙しくて、忙しくて」としきりに言う人がいます。しかしこれは妄想だ・・と書いています。すべていい加減な妄想で、「やらなくてはいけない」ことを妄想するならいくらでもあるというのです。何をするにも今の瞬間にしなくてはいけないので、それを行なわないで、過去のことでできなかったことに悩んだり、将来に関してやらなくてはいけないことを妄想したりすると、今の時間が無駄になるというのです。
  また、本では「生きることは時間との戦い」で、今の一分でやるべきことをやれば、勝利で、今の一分でできことはシンプルなものだということです。このことは、この瞬間にやらなくてはいけないことをやるので、やらなくてはいけないことが頭の中で回転すると、なにもやらない人になると書いています。
  わかったようなわからないようなことですが、これと同じようなことをよく聞きます。それは「今を大事にして生きなさい」ということです。それは、私が先のことを心配しても仕方ない、今を生きることだと思っていることに共通する部分があります。実際にその時々でできることは、わずかですが、その瞬間、瞬間を精一杯生きることだと、そしてそのことの繰返しが将来を築いていくことになるので、その瞬間をどう生きるかということだと思っています。
  自分の先の人生が決っているのか、そうでないかは分かりませんが、今を生きていることは間違いないので、その時は精一杯やるしかないということになります。今回話題にしている「くじけない」という本にもそのことが書かれているし、よく言われていることですが、これも昔から言われていると言うことは、なかなか人にはできていなことなのかもしれません。
  この一年、先を見越して何かをやるという考えでなく、今なにをしなければいけないかを考え続けてやってきたように自分では思っています。先が読めない時代は、おそらく今も昔も変わらないと思いますが、今ほど変化が激しかったのかと言うと、昔は緩やかな変化ではなかったかと思うのですが、検証していません。それでも変化していたことだけは、わずかばかりの自分の人生を振り返ってみても言えることです。
  そう考えると、将来をこうだと決め付けることなどできないので、どう考えて過ごすかということかもしれません。あるいは、なにを選択して生きていくかということなのかもしれませんが、「くじけなこと」の本の著者は、無難に安全な道を探しても、そんな道はないと言っています。つまり、明るいとか暗いとか思わないほうがいいと言うのです。明るい将来が待ち構えていると思うのは、蜃気楼を追うことになりかねない、だからトラブルはつき物だと理解しておけば、安心だと言っています。
  これもその南周りの仏教が伝播してきたものなのでしょうが、なかなか自分の中にすべてを受け入れることはできません。それでもいくつかは共感できるのがあったのでこのようなことを書いてみました。この本には、「神様はなにもやってくれません」とも書いています。ここでいう神はどうも一神教のことを指しているので、日本の神様のことではないように思いますが、自分の主人は自分と思うと「くじけても立ち上がれる」と書いています。神に隷属、つまり頼り切ってしまうと、思うように行かないと「くじけますよ」と言っているのかもしれません。
  すべては自分の考え方であって、幸せと思えば幸せだし、ついていると思えばついているし、すべては考え方ひとつで決るのかもしれません。わからないことばかりですが、この本のおわりに書かれていることは、人は、自分なりの基準をもって思考するもです。その基準もあてにならないし、思考すればするほど、その基準は変わったり、それは星の数ほど無数の基準がある、一個の基準さえあてにならない・・・、自分がどのように適合するかは、自分ひとりの課題です・・・どうも自分でも消化できないままに書いてしまいました。おそらく今年はこんな一年でした。