「震災から1ヶ月」


 3.11の東日本大震災から1ヶ月が過ぎましたが、震災の爪あとは未だまったくと言っていいほど残ったままですし、東電の福島第一号原発も改善される兆しもない、そんな状態での事業の展開です。余震もまだ続いています、地震と関係ない仕事をしているとはいえいつも気がかりです。
 震災前、震災後、私の周りでは、なにか大きく変化しているように感じるのです。地球の変動は、私たちの生活、人生に間違いなく影響を与えています。震災前は楽しかった家庭があったかもしれません、それが喪失してしまった人たち、それはやはり人生に大きく影響を与えます。私には心の中に震災の影響は残っているのですから、またそのことが気がかりですし、これが消え去るまでは、すっきりした気持ちになれないと思います。
 ましてや原発などが解決しない間は、その間ずっと放射能のように覆い被さっているように感じます。被災者の方たちは、家もない、ちゃんとした生活も満足にできない、生活設計がまったくたてられない方も大勢います。避難所生活でそこからの通勤、通学となると、これが改善される見通しを誰も示してくれなければ、どんな気持ちで生活していけばいいのか。国は議論より一日も早い支援です。
 自分がこうやって机に向かって原稿を書けるのも、ちゃんとした生活ができるのも、家族と一緒に生活できるのも、暖かいお布団で寝られるのも、お風呂に入れるのも、そこに家があり、生活できる場があるからです。
  津波で家がながされ、家族はばらばら、食事も一日におにぎり一個、生活する場所も避難所となった時、水も制限され、暖もとれない生活、そんな状態に突然置かれてしまったら、私は何を考えるだろうか、「ひたすら生きていくこと」だけを考えるだろうか。自分の力ではどうすることもできない、無力なわけですから、ひたすら時間の経過とともに状況が良くなることを考えながら毎日を生きていくだろうか。その毎日が大変なわけですが。
  時間が止まるわけではないので、常に変化しつづけているわけですから、復旧から復興への道筋もやがてはできてくるでしょうが、その間は我慢をし続けなければならないかもしれません。自分は運が良かったとかそうでなかったとか言っても、今回の災害は被災者の方たちにとっては、大変なご苦労があるわけですから、毎日をどう生きていくかはとても大事な気がします。
  被災地の人たちは、運のいい悪いとかに関係なく、等しく地震という現実に直面したわけですが、大人たちは、現実の厳しさにも立ち向かっていかなければなりません。どうやってこれから生活していけばいいのか、そこに立たされてしまったのです。国、政府、いろんな支援がこれからでてくるでしょうが、それでもかけがいのないものを失ってしまったものは、元には戻りませんから、個人個人の思いはさまざまだと思います。
  被災地の生活を映像や写真で見ることができますが、その中で元気なのが子供たちです。災害の大きさなどは気にせず、子供たち同士で遊びまわったりしています。大人は現実の厳しさを知っていますが、子供たちは別です。だれも生活に不安をもって生きているわけではなく、その日その日を生きているように見えます。苦労がないと言ってしまってもいいくらいです。
 私は子供たちのあの元気があるから、大人たちも生きていけるのではないかと思うのです。大切なのはあの「元気」ではないか、将来に不安や苦労をしらない子供たちの屈託のない明るさこそ、今大人がもつことの大切さを思うのです。忘れてしまったかもしれないあの「元気、明るさ」、乱暴かもしれませんが、将来に対しての不安より、今を生きていく「元気、明るさ」が未来へつながると信じています。
  被災者のみなさんの一日でも早く元の生活に戻れますように、心から祈念いたします。そして改めて今、不自由なく衣食住の生活ができる家があることの有難さに感謝します。