「うぬぼれてもいい」


 日経新聞の5月5日に斉藤佑樹のことについて、豊田 泰光の「チェンジアップ」というコラムに記事が載っていた。タイトルは「うぬぼれこそ勝ち組」。なんのことかと読んでみると、斉藤はプロになって2勝しているが、今の成績にうぬぼれるぐらいがよい、豊田 泰光が自分自身のことで27本塁打で新人王になったルーキーイヤーの時は終始のぼせあがり、てんぐになったまま走り通した一年だった。技術も体力もないにきび顔の18歳が、それだけの成績を残すにはうぬぼれと過信の助けが絶対に必要だった。壁に当った時はまたその時のことで、自分に酔い続けられるうちは酔っていていい、というのが経験則だと豊田泰光は書いています。
  この人にしか書けないことだろう、どんな時だって調子にのることがある。それはそれでいいのだ、壁にぶつかったらその時考えればいいという考え方です。
  酔いつづけられるうちは、それでいい、この言葉に惹かれました。それはその時しか喜べないものは、とことん喜べばいいと言っているのです。言い換えれば、もう二度とないかもしれないわけですから、その時の感情をとことん感じ取り心に焼き付けるからこそ、いいのであって、それが勝負師にとって大切なことだと書いています。
  勝負の世界とは違いますが、今回の震災も絶望的な状況の方もやがては立ち直られることだと思います。私にしても今回の震災によって、景気が停滞することが一番心配だけれど、心配だ心配だとばかり言っても何も変わらないのは確かですが、果たして先のことをどれだけ考えられるかとなると、実は自分の経験値以上のことは考えられないというのが私の考え方です。
  つまり知らないことを考えろといわれても何も思い浮かばないし、どうすればいいかもわからない。不安や心配は誰でも心に持つことができる。心の持ち方次第だからいくらでも心配になる。逆も言えることだけどなぜか心配症になるのは受けてきた教育や環境の性かもしれない、それとも人間の性かもしれない。
  心の持ちようは人それぞれなので、その人の生き方はその人の知性や教養、経験値、生活環境、親兄弟、血筋で違いがあるのだろうから、生き方については何もいえない。
 自分が見える世界が明るいか暗いかはその人の立っている位置によって違うと思う。だから私が将来は明るい世界として見たとしても、暗い世界しか見えない人には、相手にもされないだろう。
  斉藤佑樹の話に戻るが、コラムで「プロになっても一勝もできないで飛び立てないで終わる選手もいる。そこへいくと斉藤の2勝は立派なものだ。たまたま風に吹かれて、宙に浮いたような薄気味悪さはあるが、飛び方はあとからついてくる。勝負の世界とはそんなもので、まずは一瞬の風をつかむことが大切なのだ」こう書いている。
  勝負の世界だけではないが、自分はすごいと思い、突っ走る。壁にぶつかればぶつかった時でその時考えればいい。勢いのある時は、どんなこともうまくいく。怖いくらいにうまくいく。逆も間違いなくあると私は思っている。何をやってもダメという時期だ。そんな時はトンネルから抜け出るまで、自分を信じて辛抱強くダメでも地道にコツコツとやるのが自分だと信じている。
  「うぬぼれてこそ勝ち組」でいいのだと思う。勢いがある時はなにをやってもいい。ただ誰でも例外なく壁にぶつかる。自分でどうしたらよいかわからない時である。壁とは自分の力で頑張ってもうまくいかないから壁というのかもしれない。地道にコツコツやれるのも人の助けがあるからできる。斉藤佑樹も壁があってもそれを越えていけるだけの「人望」がついてきそうなきがする。一瞬の風をつかめるか、それは日々の生き方にかかっているような気がします。