「後ろ姿から見えるもの」

 人の後ろ姿というのは、自分自身では決して見ることができない。私はマラソンをやっているが、いつも人の後ろを追いかけてばかりいるので、前を走っている人はどんな人だろうと思ってしまう。それだけレースに集中していない証拠なのだが、年齢が同じくらいに見えると、尚のこと、この人はどういうことで走り始めたのだろうなどと余計なことを考えたりしてしまう。また、走り方もさまざまで、後ろから見ていても、背筋が伸びてカッコ良く走っている人もいれば、横に傾いて走っている人もいるし、小股で走っている人もいるし、前のめりで走っている人もいる。
上岡龍太郎氏は「カッコ良く走るべき」というようなことを書いていたように思う。30代と思しき人と、50代と思しき人は、やはり後ろ姿に年齢が見えてくるのが不思議だ。マラソンをやるくらいだから、皆元気に見えるが、街中で見る姿には、生活なり人生なりが出ているように見えてしまう。通りすがりなので確かめることはないが、それなりに思ってしまうのは、やはり後ろ姿に出てくるからではないだろうか。
以前ウォーキングに参加した時、親子でウォーキングに参加した人の歩く後ろ姿が親子そっくりなので、歩き方にも血筋があるのだなあ、と感じ入ってしまった。私も自分の子供が私と歩き方がそっくりだと言われてしまう。自分ではどこが似ているのかさっぱりわからないが、他人が見ると特徴が見えてくるらしい。
 以前、「お若く見えますね」と言われて気を良くしていたら、次の言葉が妙に引っ掛かってしまった記憶がある。「歩いている後ろ姿ではそれなりの歳だろうと思っていたのですが」と言われ、ああ、やはり年齢は隠せないなと思った。確かに後ろ姿には注意していなかったし、後ろまで気を回すことなど、考えてもみなかった。若ぶっている私としては、迂闊だった。どんなに背筋を伸ばして歩いていても、油断していると年齢が出てしまうことに気づいた。
何が違うのか、歩く速さなのか、歩幅なのか、体型が違っているのか。マラソンやウォーキングをやっている自分でも、歩く姿に年齢が出てしまうのはどうしてなのだろう。
 後ろ姿で表情を演じることができる役者は一人前だという言葉もある。元気がなければ背中を丸めて歩くだろうし、下を向いて歩いていれば寂しげだし、小股でせかせかと歩くと、目的をもった急ぎ足のように見えるし。その時の気分が身体に出てしまうのだ。だから身体は正直なのだろう。
 自分の後ろ姿は、見ることができないだけに、そこには何か隠されたものがありそうな気がするし、正直に出てしまうのも怖いものがある。「元気ないね」と声を掛けられるとドキっとする。見える部分を繕っても、見えない後ろ姿にしっかりとその人の本当の姿が出ているから怖い。
 どうしたら見えないところまで気を配ることができるのだろうか。やはり、周りの人の意見に注意を傾けるべきだろう。「あの人はよく人の話を聞かない」と言われるのを耳にすることがあるが、そのような人は案外自分をわからないまま生きているのかもしれない。
 目が後ろに付いていないのは、神様が見せないようにしたわけだけれど、それは自分では見えない部分であるわけで、見ることができるのは他人である。色々な考え方があるだろうが、人の助けなくしては自分を見ることができない。案外自分のことなどわかっていなくて、他人が言ってくれないと気が付かないことがあるのだということを、人の後ろ姿から考えてみた。
 大好きだとか、カッコ良いとか思う人がいたら、その人の後ろ姿を見てみると、また別な違ったものを感じるかもしれない。身体は正直かもしれない。