「100キロウォークを完歩してみて」

 福岡の行橋から大分の別府までの100キロをウォーキングで土曜の昼の12時から26時間23分かけて歩き終えることができた。この記録は、なんと制限時間(27時間)に残すところあと30分しかないという遅さである。速い人で16時間で歩き終えた人もいるが、今回初参加だということもあり、とにかく時間内の完歩が目標だったので、正直、制限時間内の完歩ができて嬉しかった。ゴールした後、すぐ完歩賞を手渡してくれるのだが、一人一人その完歩賞を読み上げてくれ、自分のことを読み上げてもらっているうちに涙が込み上げてきた。やはり嬉しかったのだ。26時間以上も歩き続けて、やっと誰かに認めてもらえたという思いかもしれない。
 私がマラソンをやっていることを知っている人から見れば、「完歩なんて楽勝でしょう」と言われていたし、自分でも問題ないだろうと思っていた。歩くだけなので、必ず完歩できると思っていた。しかし実際は、実に過酷だなあという思いをしての完歩だった。
 実際、100キロを歩くのにかかった時間は制限時間内だが、普通の生活において寝ないで1日中運動して過ごした時間と同じなのだ。2つ目のチェックポイントである宇佐駅54キロ地点。12時間歩いても、これはまだ半分の距離でしかないのだ。その時点では、足の小指の爪のところが痛いのと、ただ歩いているという思いしかないので、ここで止めて楽になれたらという気持ちもあった。休憩していたら隣の人が携帯で話しているのが聞こえてきた。家族の人と話しているのだろう。「雨も降っているし、今回はここらでもうやめるから・・・朝までここで仮眠して帰るからね」。これが夜中の1時頃。そうか、心配して家族も起きているのだ。ひとりではないのだ。
 別に続けるか止めるかを考えていたわけではない。あと1時間でも休憩ができればいいと思っていただけ。ただあまり長く休憩時間をとってしまうと、最後の方で時間に追われて苦しくなることは想像できたので、休憩もそこそこにまた歩き出した。
 宇佐駅を出て歩き出したのが夜中の1時頃だから、暫くすると当然眠気が襲ってきて、結構足取りがもたついてきたし、歩くのが遅れ気味になる。どうしようもなくて、仮眠をとるために途中で休んだりしたのだが、なかなか睡魔が抜けきれなくて、とても苦労した。ここまで睡魔に襲われたのは、この大会に参加するための飛行機の時間に間に合わせるには、前日に2時間しか寝られなかったことも大きく影響している。それでも夜が明けてくると眠気も抜けてくるのは、体内時計が働いているからかもしれない。朝の10時頃からまた睡魔が襲ってくるのだが。
 眠気、睡魔。これは、どんな思考をも遮って意識を夢の中に誘うわけだから、どんなに起きていようと思っても勝てるわけがない。ただ眠気と睡魔の中でも、歩くことを止めていないところをみると、どこかに歩けという強い意思が働いているのだろう。これが潜在意識かもしれない。偉大なる潜在意識なのだ。
 歩いている限りは間違いなくゴールに近づいている。それがどんなにゆっくりの歩きでも。だから止まらないこと。歩けという命令を体に出していれば、どんな意識の状態でも歩いているのだ。それを自ら実体験したようなものだ。どんなに体のコンディションが悪くても---例えば、足の爪が痛い、足の裏のマメが痛い、膝の後ろの筋に違和感がある、足がだるい---そのような状況でも、足は動かしている。止めたと思わない限り。
 100キロウォークで得たもの、それは、とにかく歩くという意思を捨てなければ体はその通りに動き続けたということ。