「日本一の大金持ちの人の書いた本」

所得納税者No.1の斎藤一人さんの著書「変な人が書いた驚くほどツイてる話」の中に、「人の人生には、必要がないことは1つも起きていませんし、解決できない問題も起こらないようになっているのです」そのようなことが書いてありました。
困ったことも良いことも、自分に必要なことしか起きないということで考えてみました。
 売上が落ちると困ったことになります。それは会社の経営が大変になるからです。自分に関係しているのですから、恐らく原因も私が作ることになります。ですから一生懸命やるしかありません。だから契約期限が切れる技術者には、次の派遣先を決めるのに一生懸命になります。
 社員さんが居なくなると困ったことになります。仕事をやってくれる人がいないのですから、困ったことになるのは私に関係しているのです。私が原因を作っているのです。
自分が原因を作っているのであれば、その原因を解決しなければなりません。資金がなくなったら困るのですから、その困った原因は私が作っているのです。これもやはり自分がその原因を解決しなければなりません。
 そう考えていくと、出来事は自分に関係したことしか起きないのです。違う会社のことであれば自分に関係しませんから、困ったとは思いません。因果関係は全て自分にあるのだともいえます。もし自分がその原因を作らなかったら困ったことは起きないことになります。
 もう一つ、斎藤一人さんの著書の中で「サザエだって『何かの都合』で渦巻きになっているんです」という一節があります。これも人との関係におけるもので、私などは社員さんにこうだろう、ああだろう、と話をすることがあります。でも本当はどうなのでしょう。その人にとってはどうしようもないことをやらせようとしているのかもしれません。あるいは、私がその人にとってわからないことを話しているのかもしれません。
 本当にその人のことを考えたら、もっと違う言い方が適当な場合もあります。だから人によって話し方は変えていかなければいけないのかもしれません。読売巨人軍の元監督、川上哲治さんが書いた「遺言」という本にも書いてありますが、監督やコーチが選手に立派な話をするがそれは「猫に小判」のようなことを話しているのではないかというのです。ちっとも選手がわかってくれないというのです。「猫にかつおぶし」のような話でなければ、選手はわかってくれない。このことは、私についても同じことが言えるのです。
 「これからのSEにはコミュニケーション能力が必要だ」ということを社員さんに伝えるのですが、社員さんがそう感じれば必ず実行します。そうでなければやりません。私にとっては、これからのことを考えると「コミュニケーション能力がないSE」は困ったことですが、私が結果の原因を作っているのですから、社員さんにわかってもらえるような話し方ができていれば、今のような困ったことは起きないのです。あるいは、コミュニケーションが必要でないと思えば決して困ったことはなりません。
 社員さんにとって困ったことが起きないのは、それが必要ないことだからですね。困っていないのに「困るよ」と言っても、伝わらないのは当たり前ですね。斎藤一人さんが言うように「困っていない人には、困ったことは起きません」。
これも斎藤一人さんの本に書いてあったことですが、人間は魂の修業の中で、絶対にやらなければいけないことがあり、「@知っていることはもったいつけずに人に教えること」、「A知らないことは素直に聞けること」だそうです。これは必ずやらないといけないことだそうです。