「取材を受けて」

2月10日夕方に「月刊ビジネスチャンス」担当記者の取材を受ける。私が所属しているマラソンランナーの集まり「明走会」のメンバーの方からの紹介で取材に来られた。
 「あなたにとって明走会とは何ですか」という問いかけから取材が始められた。改めて「自分にとっての明走会とは…」と考えたことはなかったが、「異業種交流の場であり、人と人のつながりであり、情報収集の場。」そんなことを話した。ちなみに明走会とは、会員数600人からなる非常に大きな会である。そのメンバーの中には、毎日新聞の大島さんだとか、作家の夜久弘さんだとか、ランナーズ社の方だとか、実に色々な方がいらっしゃって、まあ、華やかな集まりではある。
 確かにマラソンというキーワードで集まってはいるが、あるときは大会の情報収集だし、あるときは知らない人とのコミュニケーションの場なのだ。会の良いところは、会員会則があるわけでもなく(いや、私が知らないだけかもしれない)、縦横の関係が全くうるさくなく、いつも気ままに参加させてもらえるところだ。それもこれも、会の長である森部さん、芝山さんという先輩が、先輩として立派でおられるだけで、私が何か会に貢献しているというわけではない。それでも適当に利用させてもらえるところにありがたさを感じる。  会との関わりから話しているうちに、会社の仕事の話に移ってきた。会社の規模だとか、事業内容だとか型どおりの話が済むと、あとは私が日頃思っているコンピュータ業界の話をさせてもらった。
 業界の話になると、日頃常に思っている、技術者の寿命が短命であることの話から入った。短命といっても生命のことではなく、技術者としての仕事が早く終わってしまうことを言っている。技術者としての盛りが意外と早く来てしまうのだ。良くても40歳ぐらいで、どうかすると、30歳ぐらいで仕事がなくなる。つまり、仕事自体はあるが、その人に回さなくとも他の若い技術者がそれにとって代わることができてしまう。派遣技術者は尚のこと、派遣先の直接管理者より歳が上になることが多くなると、やはり扱いづらさも手伝って、最初から若い技術者にして下さい、と言われることもある。それが50歳ぐらいになると、華々しい経歴が逆に災いということになるのだ。例えばこんな話もある。金融の開発で、銀行としては経験豊富な方に参画してもらうことは非常に良いと思っている。ところが本人は金融知識が豊富だと思われていると思って、下手な質問ができないぞということになるので、案外突っ込んだ意見を言えなくて敢え無く選手交代という羽目になってしまったという、笑えない話である。
 コンピュータ技術は変化が激しいので、一昔前の話題なんて死語だし、「そんなのもありましたか」と、懐かしい話になってしまう。その中で仕事をしているわけだから、技術者の定年が30歳だとか35歳だとか言われても不思議ではない。そんなことはないという話も沢山あるので、ある限られた私の知り得る話の中でのことだと思ってもらってもいい。
しかし私は、寧ろその取材に来られた記者の方に対して「あなたの方が仕事を長くやれますよ。記者に年齢制限が無いので、大儲けということを考えなければ、ずっとやれる仕事ですよね。」そんな話を向けてしまった。  それでも、我が社にも60歳を過ぎても尚、若い技術者に何ら引けを取らず、現役バリバリの技術者がいることをお知らせして、そのこともできれば載せて下さいと申し上げておいた。それも一つのロングライフな技術者を目指すモデルだから。
 ナビックはもっともっと、ロングライフな技術者の姿を求めている。だから決して悲観すべき話ばかりではないはず。長くやれる道もある。残れる道もある。それが私の信念である。