「道も市民のもの」

  先日、元毎日新聞記者の大島幸夫さんによる「ユニバーサルデザインと開かれた道」というテーマの講演を聴く機会があった。今年67歳になられる大島さんは新聞社を退社された後も活躍されていて、テーマとなっている「ユニバーサルデザイン」について、ファッション担当者として、パリコレクション他色々と取材をされている。かたわらマラソンランナーとして世界中の大会に出場されている方でもある。
 マラソンランナーとしての走歴は長く、ボストン、ニューヨークシティ、ロサンゼルス、ロンドン、パリ、ベルリン、ウィーン、バンクーバー、ビクトリア、グアム、ホノルル、ソウルの各マラソンを完走され、自己ベストがフルマラソンで2時間59分21秒、ウルトラマラソンでは100キロを9時間47分52秒という、市民ランナーとしても十分に誇れるタイムだ。凄いのは、今現役でマラソンに出ておられること。私にも大島さんよりちょっと若いぐらいの兄がいるが、そんな元気さなどどこにも見られない。色々な年のとり方があるが、10年、15年先の自分の姿を大島さんのような方に求めたいと本気で思っている。
 講演テーマにあるユニバーサル(普遍的・世界中に広まる)デザインについても、身障者自身のファッションの話など、自分を表現するというデザインに喜びを覚えるというような話だったと思う。また、身障者ランナーとの交流走友会「アキレス・トラック・ジャパン」を創立し、障害者介護、伴走ボランティアを行っておられるのには敬服させられる。
 2001年1月23日の毎日新聞「記者の目」欄に載せておられる記事に、「日本のマラソン文化は、世界水準に程遠い、むしろ低レベルで異様に孤立し、閉ざされている、・・…つまり市民マラソンというのは、公道スポーツ、街路スポーツにある、もとより限られた特権選手のものではない。」という箇所がある。ここで語られているのは、よくスポーツ紙に出てくるような東京国際マラソンや、毎日マラソンなど、誰でも知っているマラソン大会には、3時間を切るような選手しか出場できない。そうすると限られた選手のためだけに、あの公道を使っているだけだ。しかし世界中のマラソン大会では、そのような機会だからこそ一般市民も一緒に参加して、その公道を楽しむのが当たり前なのだ、ということである。
 講演テーマの「開かれた道」の中でも、世界と日本との事情の違いを話されていた。ご自身でも東京の道路を開かれた道にする為に、「東京夢舞マラソン」を主催されている。これは、東京都内の道路を使って市民マラソンを実現したいという目的の下、都知事にも働きかけながら、一歩一歩進めておられるイベントだ。私も去年参加し、今年も参加する。今はまだ、道路といっても歩道だけしか走れないし、信号では待たされる。これが、車道でも信号を気にせず走ることが実現できるようになれば、やっと道路を市民のものにできる。「開かれた道」になれば、世界水準に近づくことになる。そんなゆとりのある社会になれば、犯罪だって減ってくるのではないか。大島さんがおっしゃっていたが、箱根駅伝には15校しか参加しないが、関係各省庁が協力すればあれだけの公道をマラソンの為に使用することが実現できるのだ、一番贅沢なマラソンだ、と。
なるほど、言われてみればそのとおりだ。せっかくあの時間、あの公道を走れるのなら、それを共有できたら一市民ランナーの私としては、どんなに楽しいだろう。