「2008年のナビック」


  ナビックの3年後の話である。平成20年はナビックの20周年でもある。20周年記念パーティを九段会館で2008年8月24日に行った。この日が設立日でもある。出席者は500人、取引先500社をご招待する。売上が50億円、経常利益が1億5000万円、社員数が100名、「Open DB Plus」が予想をはるかに超えて売上を上げたおかげで、派遣での売上とパッケージの売上が半々までになったことが、売上を大きく伸ばした要因でもある。パッケージもバージョンアップがことのほか進んでいるので、更なる売上拡大が望めそうだ。社員も平均年齢が28歳で、平均年収が500万になった。
 基調講演は吉野家の阿部修二社長にお願いした「あのBSEから5年」だった。生き残ってきた会社だけに講演の内容は私を力づけるものだった。私の挨拶は「取引先さまのご支援のおかげで今日まで来ました。技術者の派遣だけでは決してこのような成長はなかったと思います。やはり『Open DB Plus』の成功が大きかった」といったありきたりなことを喋った。社員代表のスピーチは「自分の夢」についてだった。
 社員のキャリアパスについてもプログラムを構築しているが、実績としての検証がまだ社員の年齢が若いこともあってこれからだ。ただ初期の目的でもある将来の方向性については、社員の自覚も少しずつ「自分から選択していく」状態になりつつある。
 キャリアパスの基本は、自分は何ができるか。今置かれている環境こそがベスト、そこで最大限伸ばせるものは何か。しこたま技術が求められているときは、いかに効率よく、問題のないシステムを提供できるのか。また業務的な知識を求められているときは、その業務は、SEとして何を把握し提供していかなければならないのか。上司との調整、あるいは部下との調整を求められているときは、いかにコミュニケーション力をアップするのか。つまりその技術者なり営業の置かれている立場こそが、最大のキャリアパスにつながる要因なのだということをプログラムの基本において構築したものである。
 例えば、コミュニケーションが下手という人がいたとしよう。コミュニケーションは言語、言葉によるものだが、生まれつき言葉が喋れない人はどのようにしてコミュニケーション手段を持っているのか、そんなことを考えてみたとき、必死で相手に伝える手段は体で表現したり、身振り手振りで伝えたり、あるときは文章で伝えたりしているではないか。それを思うと、五体満足な我々には、コミュニケーションはなんとでもなる。
 コミュニケーション手段を言葉だけだと思っていたが、相手に伝えたい意思があれば、ありがたいことに五体があるので、なんとでもなる。口の達者な人が営業成績が必ずしも良いわけではないことは誰でも知っている。テレビ番組で、近畿大の耳の聞こえない学生でアメラグの選手でもある人物に焦点を当て、その生活を紹介していたが、ここでのコミュニケーションは相手の目の動きを観ることだそうだ。実は言葉だけで相手に自分の意思が十分に伝わることは案外少ないのではないかという気がしてくる。そのように考えれば、コミュニケーションが苦手だと思う人にも色々な手段があることに気付いてもらえる。
 そして20周年のナビックのテーマは「ナショナルブランド」。どうすればブランド力を持てるか、「ナビック」という社名を全国的なものにするためにはどうするか。ブランドができれば人が集まる。理念は常に「継続と貢献」である。継続してきたからこそ2008年があり、更に10年後の30周年があるのだ。継続を企業理念としたことは決して間違っていなかった。
 夢は大きく語るべし、ちょっと小さすぎたかな。この随想を3年後に読んでみることにする。