「会社は三位一体」


  会社は誰のものか、最近話題になった言葉だ。株主か、創設者のものか、社員のものか。株主はお金を出しているし、会社の創設者は、会社を産み出している。社員さんは会社を運営、維持していく上で絶対に必要な人たちである。
 お金を出す人がいなければ、会社は生まれない。ナビックは私が創設し、作った会社だが、作るだけだったら学生だってつくれるのだ。大事なのはその会社が何を社会に提供できてきたかだろう。私たちが提供してきたのは、雇用の場だし、技術者だし、技術知識だ。それによって会社を運営してきたのだ。
 会社は法的には株主のものだ。失敗すれば、私は仕事を失い、日本だと社会的な立場さえ失う。さらに生活さえできなくなる。家庭まで失うかもしれない。再起だって難しい。誰でも後がないと思えば必死になるだろう。明日がなければ、自分もない。こんな思いを心の片隅に置いて毎日生活しているのだが、17年もその思いを持ち続けていると、少々のことではへこたれなくなった。
 三位一体という言葉がある。父も子も聖霊も一体というものだが、まさしく、社長も社員も聖霊も一緒になる、それが三位一体なのだ。「三位一体となって難局を乗り越える」、「三位一体となって会社を伸ばす」、三位一体というのが株式会社ナビックなのである。
 自分に責任があるから自分で考えるのだ。社員さんは職務責任がある。つまり、売上を計上する責任があるから、どうすれば売上を上げられるかを考え、みんながそれぞれの責任を果たしている。また、みんなが責任を果たさなければ、会社は成り立たないようにできている。会社は責任を果たしている人たちのものだ。法的なことだけで、会社は自分のものと言ってみても、会社は伸びてくれない。会社も生き物だから、常に変化している。だから常に気をつけて手を加えていなければ枯れてしまう。
 責任を果たせない人が増えると会社は伸びないようにできている。社長が経営努力をしないと、会社はよくならないようにできている。売上がないと会社の運営はできないようになっている。
 だから会社というのは、売上を上げ、利益を出すことを義務付けられているのだ。そして社会に役立てることが義務だ。だから権利としてお金を頂けるのだ。おまけに競争社会だから、創意、工夫、努力がないと、よその会社に追い抜かれてやがて衰退していくようにできているのだ。これが自然摂理ではないだろうか。
 人類の歴史は生存競争の歴史でもある。人類には、一時たりとも働かなくても生活できる社会があっただろうか。収穫するため、生きていくため、よりよい生活を送るため、家族のため、会社のため、社会のため、国家のため、すべて生き残りのために働いてきたはず。それは避けて通れないはずだ。弱肉強食、生存競争、生き残りをかけて、生きていくことは、しっかりDNAに刻まれているのだ。
 その中で優秀な遺伝子が生き残れたというより、その環境に適応したものだけが最後に残ってきたのではないだろうか。つまり、会社も同様に、大企業だから残れるわけでもない。生存競争の中で残れなかった企業は、求められたものを提供できなかった企業だろうし、企業努力をしなかった企業だろうし、生存競争をやめた企業だろう。つまり社員さんが働かなくても給料をもらえる、いい会社は長続きしないのだ。働かなくても給料をもらえたらそこには衰退しか残されていない、それが摂理だ。老人になり働けなくなる頃に死がくるのも一つの摂理。
 会社は人の集合体だ。つまり生存競争する人たちが集まった集合体なのだ。DNAは「生存する」と設計している。ナビックのDNAは「継続と貢献」、これはDNAの意図に合致している。生存競争を避けて通れないとすれば、その中でナビックはその生存競争に残れるビジネスモデルを必ずつくりあげる。共存し、生き残ること、みなさんとともに10年後、20年後も存在しているナビック。それは日々「一生懸命生きよう」という気持ちの積み上げだし、その連続でしかない。将来とはそうやって積み上がっていくものだろう。そして三位一体で進んで行くことがナビックの「存続」するビジネスモデルだ。