「三次元科学は死後を解明できない」


  先日、お通夜に出るために武蔵小杉まで行ってきた。78歳の方だが、お亡くなりになったのだ。1ヶ月前まで旅行に出かけたりして元気にしておられたということなのだが、死はいつくるかわからない。
帰り際、もう70歳になられる現役の開業歯科医の方に、「軽く飲んで行きませんか」と誘われた。私もこのまま会社に戻る気になれなかったので、「そうですね」ということで、駅前のお店に入った。しばらくは故人との思い出を話されていたのだが、やはり亡くなられた方と歳がそう離れていないこともあり、その歯科医の方も「この歳になって悔いが残る」と話されたのがすごく印象に残っている。
 「あのときこうしておけばもっと違っただろう」「もっと勉強しておけばよかった」私には想像できないような言葉がその方から出てきた時には、あらためて聞き返してしまった。「えっ、何がそんなに悔やまれるんですか?」私から見れば十分に成功している方だと思っている方だけに意外なのだ。
 いつお迎えがきてもよいと思う歳なのか、いや、日本人の平均余命からすればあと10年はあると思うのだが、他人が何を思うかはさまざまで、残された時間はそう長くないと感じておられるのかもしれない。
 20代の人はおよそ考えもしないだろうが、死を迎えるとはどのようなことなのか。この世でやり残したことがあったら、やはり悔やむだろうか。未練があれば死にたくないと思うだろうか。私はこの世に生をもらって、今日まで無事に過ごすことができた。悔いが残るような生き方をしていないだろうか。十分に生きているだろうか。また、この世からいなくなるとは、無でなにもなくなるのか、それともあの世があるのか、つまり現世では肉体をもらって生きているのだが、死とともに肉体がなくなる。肉体(BODY)はないが霊は存在し続けるのか。
 死んでしまったらその先はどうなるのか。天国、地獄があってそのどちらかに行くのか。死後があるのかないのかわからないが、恐らく死後はあるという方に私は賭けている。死後の世界とはどんなものなのか、死んでみないとわからないことだが、米国やヨーロッパでは随分と研究が進んでいるようだ。
 米国では「モンロー研究所」というところがその方面の研究では進んでいるようだ。ヘミシンクという技法を使って体外離脱、変性意識を経験させてくれるのだが、1600ドル払えば誰でも同じような経験ができるのがすごい。体外離脱と死後とのつながりはよくわからないが、BODYから抜け出るという意識はある意味、死後なのか。詳しくは本を読んでもらった方が遥かに理解できると思うが、一つだけ言えるとすれば、我々のBODYは地球上でのもので、そのBODYを通して存在があり、より人間としての向上、修行をしているということのようだ。
 だから、BODYがなくなっても霊は存在するし、それはまた違ったBODYを選択し、何度も輪廻転生を繰り返しているのだということ。昔から仏教で言われていたことなので、日本人には理解しやすい。だとしたら、私は何をすべきなのか。BODYをもらって死に至るまでは、精神の向上だろうし、死んでしまったら、あの世でも霊なるものは生き続けるのであれば、なすべきことは沢山あるのだろう。この世の中では私は何かの目的をもって存在しているのだろうし、その目的を達成できなければ、また輪廻転生して思いを遂げようとするのかもしれない。
 このように3次元世界での科学で証明できないものも面白い。やがて解明できるのかもしれないが、3次元の物理化学で証明できないものの存在を否定してきた社会はそろそろ限界に来ているのではないだろうか。私の周りで起こる全ての出来事は私にとって必要なことと思えば、腹を立てることもないのかもしれない。全てを受け入れることから自分の道が開かれるのだと私は信じる。