「目標」


  テレビを観ていたら、レポーターが有名な年配の俳優さんに「今年の目標は」とインタビューする場面があり、その俳優さんは「目標を立てても実現したことがないので立てません」と答えていた。私は逆で、目標は沢山立てる。1年で実現できないから目標を立てないよりも、毎年同じ目標でも何年か後に実現できたらすごいではないか。
 1年という期間を設けて頑張ってみる、果たしてそれで実現できることがどれだけあるだろうか?
「目標は実現するまで目標であり続ける」のが目標だと私は思っているのだが。いいではないか、大きな目標があっても、と思う。私にはまだ達成できていない幾つかの目標があるが、毎年1年の目標の中に必ず置いている。
 人間が生きていく上で、一つの目標に向かって頑張ることは良いことだと思う。ただ色々なことで、自分の時間をなくしてしまうことが結構あると、なかなか1年というスパンを切っても達成できなくなってしまう。だからといって他を無視してよいものはなかなかない。だから諦めることはないというのが私の考えだし、持論なのだ。不思議なのが、何かのきっかけで達成できることを幾つも経験していると、1年で達成できないからといって諦めてしまうことがなくなってしまう。
 恐らく人生には波があって、いろんなことに困難と感じる時期だとか、良好だという時期がある。いつそれが転じていくのかなかなかわかりにくいが、目標とはそんな波の中で立てているわけだから、1年という期間で決められた目標を実現できなかったからといってやめてしまうのは、もったいない気がする。
 その人にとっては1年あれば達成できると思って立てた目標かもしれないが、なにもその尺度に囚われることはないように思う。大切なのは1年という期間なのか、目標を達成することなのか。私は目標を達成することが大切だし、1年で達成したとすれば、超幸運に恵まれていると思っている。
 私の人生観になるが、必要なもの、身に付けたいもの、経験したいもの、その中にも大から小までランクがあるので、その中でどれを狙うかだと思っている。大を狙っているのであればなかなか実現できないが、中、あるいは小だと実現できるとすれば、実現できそうなものを実現しているだけかもしれない。
 たとえば大学は東大だと目標を置くのも一つだが、大学に入ることだけ考えるならどの大学でもいいので比較的楽だろう。ただ本人がそれで納得するか、しないかだけだ。
 「目標は達成するまで目標」と書いたが、どう考えても達成できそうもないものを目標と置いてもあまり意味がないような気がする。スポーツがいい例で、たとえば今年はトリノで冬季オリンピックが行われたが、スノーボードを観て自分が感動したので、スノーボードをやりたくなったから「スノーボードができるようになる」が目標、というのはいい。それを「スノーボードでオリンピックに出る」を目標としては、どうもモチベーションが上がってこない。
 目標とは、それに費やせる時間、お金、体力、年齢、能力、可能性があるから掲げるのだし、可能性があると自分が信じているから、目標として掲げればいいのだ。そしてそれは1年で実現できると思ってやったら出来なかったといってもいいではないか。
 出来なかった目標を無理と思って諦めるのか、続けるのか。もし年数に関係なく実現できたらやはりすごいと思うのであれば、「目標は実現できるまで掲げる」がいい。きっと出来たときの感動は自分の人生を楽しいものにしてくれるし、自信につながる。私が目標を沢山持つのは、実は、そんなことを幾度となく経験して人生を楽しいものにしているからだろう。