「論理と情緒」


  「国家の品格(藤原正彦著;ISBN4106101416)」の中で、「どんな論理であれ、論理的に正しいからといってそれを徹底していくと、人間社会はほぼ必然的に破綻に至ります」と書かれていた。非常に興味深かった。
 より論理的でありたい、論理的な説明が一番人を納得させるやり方だと思っているだけに、全てに論理を優先させるとうまくいかなくなるのだと書いていることにほっとする思いだ。つまり論理の上に情緒ではなく、情緒の上に論理があるべきということを書いていたが、全てを論理で割り切ろうとする社会の流れに昨今の異常なくらいおかしな現象、事件を考え合わせると、そういうところに問題があるような気もしてくる。
 そう考えると情緒的な考え方がにわかに正当性を感じさせる。「終身雇用」というのは死語のように聞こえるが実は私が思っている経営のあり方は「終身雇用」であり、それが大事なのではないかと考えている。なぜ「終身雇用」か、というと、私は一度採用した人を斬ることをしたくないと考えている。極めて情緒的だ。
 論理で考えるなら、成果が出なければ収益を圧迫する。そうなると経費を削減しなければならない。経費の元は人なので経費を削減しようということになると、人を解雇する。解雇しなくても給料が下がれば人はやめていく。という図式ができてくる。資本主義の社会だから、そして、収益を上げるために会社は存在するのだから、経費節減は当たり前の話になる。この論理は間違っていないように思う。
 ナビックは情報サービスの会社だから、技術者の派遣だとかソフトウェアの開発を行っている。特に技術者の派遣では40代から、そのまま同じ仕事に従事している人たちの割合が落ちてくる。理由はいくつかある。派遣先で技術者が働く環境が若い人を求めてくる割合が多くなる。コンピュータの技術者となると若いというイメージと、管理者が若いということも理由にあると思う。
 また技術という点で目まぐるしく変化するシステムに対応するにはどうしても若い人というイメージがあることもいえる。そのような業界環境の中で「終身雇用」などを挙げる経営者は多くはないはず。しかしそうだろうか。40代で雇用先から解雇される技術者が何万人と出てきたら彼らはどう生活を考えていくのか。
 私は50代で業界に残っているが、みんなが私と同じことができるとも思えないし、価値観はみんなバラバラなのだから同じようにやりたいとも思ってもいないだろう。次の人生を考えている人だっているだろうから、私が40歳過ぎの技術者のことを考えるのは余計なことなのだ。
 ただ「終身雇用します」というのは何の論理の裏付けもないかもしれないが、その視点に立って物事を考えると、社員に対しての接し方が違ってくる。成果がないからやめてもらっていいと考えるのとでは凄い開きだ。「終身雇用」に問題点もあるわけだからその問題点を改善していけばいいと考えている。成果に対しては当然差があるだろうから、報酬にも差があっていいのだ。
 全てが平等などというのはどんな社会でもありえない。「終身雇用する」といっても仕事がなければ経営できないではないかという論理はもっともなことだ。しかし仕事を創出すれば何歳だって働けるし、仕事の切り口を変えれば終身雇用だって可能なのだ。
「では、何があるのか」という問いには、論理的な解がない「やってみるだけ」という情緒的手法に賭けている。つまり論理で埋め尽くせないのが人の生き方かもしれない。