「2006年度は2005年度とも違う予感」


  納得する、承知する、理解はするが納得できない、理解できないが納得するよ、などという言葉がある。物事を先に進めようとするときは、十分に理解できないまでも、勘とか感性とか、自分自身の何かがそうさせてしまう場合などもそうだろう。
 だから、理論で固めてみても説明できないことは沢山経験してきた。時には言葉の無力さを感じたりもするし、将来に対しての不十分さもあるが、自分を信じているのだからどんなことがあっても進んでいける。
 会社を作って18年。起業100年や200年の会社からすると、何もわかっちゃいない若造ということになるのだろうが、100年を目指すのも1年を目指すのも、毎日をコツコツとやっていくことだけは共通で、結果として100年やってこられたということになるのだと私は思っている。
 継続できるとか将来性とか、会社について言えば先が見えないのが正直な気持ちで、こんなことを書くと、社員から、そんな会社じゃ困るからやめます、と言われそうだ。しかし、今の時点で将来が保証されているような会社は将来性があると思っているのかもしれないが、所詮、現時点のことであってそれもその予測の範囲だし、また予測した人の価値観であって、その人が色々な情報を元に判断したものだ。私自身は自分の会社の将来性を信じているが、確証がないだけだ。
 不確定要因が沢山ある中で、100年やれるとはとても言えないが、毎日努力することはできる。その結果に対してどのような判断が下されようと、それについて文句は言えない気がする。
 たとえば、楽しいことを企画する、それを実行する。しかし結果として楽しいものでなかったらどうするのか。「つまらない」「損した」「誰々のおかげでつまらなかった」という言葉が出たとすると、楽しい企画ではなかったということになるが、これを予測できた人はいなかったはず。そもそも、予測できていたらそんな企画は立てていないのだから。
 どうかすると、結果までも保証させようとする。物であれば保証もできるだろうが、会社の結果についてはどうだろう。今の時点でナビックに見えるものは、せいぜい1、2年先ぐらいまでなら今の仕事の延長であると言えるのだが、100%確かなことではない。色々なことを考えて、不十分ではあるが自分の思いをぶつけているだけで、やった結果までも保証しなければならないとすると、もう神に保証してもらうしかない。
 毎日少しずつ進んでいれば、上出来なのだ。そういう意味で将来の結果を保証するものはないが、毎日一生懸命仕事をしていれば、結果として、会社は継続していたと言えるように思う。どうもこれは確かなことじゃないかと思っている。将来は毎日の積み重ねであることは間違いない。タイムマシンでもあれば、一挙に未来に飛んでいけるが、残念ながら、タイムマシンはない。少なくとも私には未来も想像するだけで観ることはできない。
 長く同じ事業をやっていると、私が想像していなかったことに遭遇することが何度かある。本当に想像していないことなので、それが会社にとっていいことだったり、凄いダメージだったりするが、きっとそうやって会社は成長しているのだろう。
 物事、あるいは出来事は、必ずしも線形的ではない。非線形的といってもいい。もし全てが線形的であったら、全ては論理で成り立ってしまう。例えば、今年の売上は10億だが、この調子でいけば来年は15億になる、なんてことが言えればいいが、そんなことはないのだ。なぜ不確実なのか。それは人間社会だからとしか私には思えない。
 年次総会も終わり、また新たな一年が始まった。総会でも自分の考えをできるだけ表してきたつもりだが、言葉が足りなかったり、あるいは言ったつもりでも伝わらなかったりすることはあるだろう。不十分ではあったが、昨年度より今年度の業績が少しでもアップしていれば良し、急激な変化は不確実なことなので予測できないが、一つ言えるのは、その変化に遭遇するのも、ナビックが存続していることが条件なのだ。2006年度は2005年度とも違ったものになるというのが私の予感なのだが、どうだろうか。