「マラソンから生まれたもの」


  早くも6月、梅雨に入ろうとしている。マラソンを始めて7年になる。ちょうど今の時期にマラソンを始めた。当時は5キロ走るのも、時間内に走れるだろうかと思ったものだが、今では100キロのウルトラマラソンに参加するまでになった。マラソン年齢はなぜか高い。だから私が所属しているクラブではまだ若い方に入っているというと言い過ぎかもしれないが、年齢層で多いのは40代、50代ではないだろうか。
 マラソンをやっていなければ、今頃肥満の体で血糖値を高くして、高がつくものを3つか4つは抱え持っていたと思う。高血糖値、高血圧、高コレステロール、数えあげればきりがないが、マラソンをやったことで、これらの数値が標準値の中に収まっているのではないかと思っている。
 マラソンというスポーツが、私に一つ人間の輪を広げたことは確かだ。マラソンをやる人たちとの人間の輪だが、一つ共通な、それもみんなが持っているものを共有していると話のきっかけを掴みやすい。
 別にマラソンに限ったことではないが、共通の何かを持つことは、コミュニケーションをとる手段としてはすこぶるいい。だから私にはマラソンをやっていることがコミュニケーションの手段になっている。
 ただマラソンをやらない人の殆どは、全くといっていいほど興味を持たないか、そんなスポーツは体に悪いと思っている。「その年齢でマラソンなんかやったら体を悪くするよ」「体に良くないよ」「有酸素運動のしすぎで早く老化するよ」「足の使いすぎはひざを悪くするよ」などなど、色々なことを言われてきた。それもコミュニケーションだと思えば、少なくとも人との会話にはなる。
 体の話になるが、今の体で故障している箇所はない。周りの人たちが言っていることが、やがて自分の身に到来するのかもしれない。ただ人間の体というのは実は大変な代物で、これほどまでに変化するものかと実感したのも、マラソンをやってからだ。走れなかった体が走れるような体になったことも一つだし、年齢的にはスポーツをやるにはそんなに若くないのだから、という気持ちが大きかったように思うが、実際にやってみると、人間の体はそんなにやわにはできていない。もちろんスポーツをやって故障する人もいる。ただ回復するし、元気も取り戻したりできる。
 私は80歳までは今のマラソンを続けていきたいと思っている。そしてできることなら、生活の中で、理屈や論理の世界とは離れて生きてみたいと思うことがある。学問の発達、科学の発達、文化の発達、経済の発達、これらの発達をもたらした社会に生きているのだが、より精神的に豊かになったのか、幸せになったのか。みんなが助け合ったりする社会、老人を敬う社会、そんな社会からだんだん遠ざかっているように思うのは私だけだろうか。
 トイレの掃除をする。(株)イエローハット創業者の鍵山秀三郎氏は今もトイレの掃除をやり続けておられる。最近読んだ記事の中に、新宿の街を掃除している写真が載っていたが、「この街が良くなるには5年かかると思っていたら3年で変化した」と書かれていた。ホリエモンやムラカミさんとは、もしかしたら世界が違うかもしれない。でもこの鍵山氏は20年、30年と同じことをやっておられる。
これは、科学や理屈で推し量れない。また論理的に成り立たない。なぜなら「どうしてそんなことをやるのですか」という問いに対して、「私たちの社会を良くしたいからです」と言われたならば、それは理屈ではないだろうし、論理的でもないからだ。情緒というものだろう。
 私のマラソンだって、最初は体重を落としたいという目的を持っていたが、体にいいのか悪いのか、そんなことを考えているのだろうか、もっと別なものがあるように思う。マラソンから生まれたものは、健康に対しての意識や、ちょっと大げさに言えば経営に対しての姿勢につながっているように思う。