「言霊」


  タイトルが凄いが、生きていく中で、私にとって言葉を使わずして生きていくことなどあるだろうか。生まれて言葉を覚え、それを使えるようになり、人と人のコミュニケーションとして言葉はあるのだと思っている。
 もし言葉が使えなければ体で伝えようとするだろうが、十分ではないのではなかろうか。以心伝心は妙なときに働いたりするが、普段、人と会話する上では黙っていては何も伝わらない。
 「言霊パワー」という記事があったので、それを読んでいると、『元気な人は「仕事が楽しいな」「私いま充実している」と言って、仮に疲れていても「大丈夫!」「元気です」と口に出している人。一方、いつも元気がなく疲れている人は、やはりいつも「疲れた」「もう無理」「つまらない」と言っている。不思議ですが、これはまぎれもない事実です』と書いてあった。これは「致知」という月刊誌(樺v知出版社発行)の本年11月号特集記事として掲載されていた。
 もう少しその記事のことに触れてみたい。沖縄のメンタルクリニック(「啓子メンタルクリニック」)の院長先生でいらっしゃる越智啓子氏が、水の話についてこのように書かれている。『江本勝さんのご著書に「水からの伝言」があります。同書では「ありがとう」をはじめとする、ポジティブで思いやりのある言葉をかけた水がきれいな結晶になるのに対し、「バカヤロー」など汚い、ネガティブな言葉を浴びせた水は、その結晶までもがグシャグシャになってしまうことを紹介し、水が言葉のエネルギーに反応することを証明しています。そこで考えて欲しいのは、私たち人間の体の70%が水でできているということです。普段どんな言葉を使うかで、私たちの体は変わってきてしまうのです。』
 なるほど、私の体もその70%は水からできているのだから、私の結晶は毎日、毎日変化していて、きれいな形の時もあれば、結晶がグチャグチャの時もあるのだろう。誰でも感情的になることだってあるだろうから、感情的になれば抑えきれずに乱暴な言葉が出てしまうことだってあると思う。子供にだって、乱暴な言葉を吐いてしまうことだってある。
 言葉は生まれてから覚えるものだが、個人の感情の捉え方はバラバラなわけだから、もって生まれたものかもしれない。子供を見ていると感情表現がそれぞれ違うので、そう思ってしまう。
 結局、バラバラな感情、個性の集まりが社会であろう。うまが合う、合わないはあって当たり前、そんな中で、人は何を求めて生きているのかとなってくるのだが、「言霊」のテーマで挙げているように、言葉が人の気持ちまでも変えてしまうのだということを記事から読み取ったわけである。どうかすると人生までも変えてしまう。
 ネット社会になってメールでのやり取りなくしてビジネスが成り立たなくなってきているが、メールでは伝わらないものがある。それだけに、メールでやり取りする部分と、相手を目の前にして話す事は分けるべきと私は考えている。
 私は重要な話は決してメールではやり取りしない。まずは会ってからと決めている。どんなに時間がなくても無理に作るようにしている。
 直接相手を目の前にすることで、言葉のニュアンス、相手の感情、を読み取りながら話をするので、メールあるいは電話ではおおよそ捉えられないことを感じとることができるから、とても大事なことだと思っている。もちろん傷つけられることもあるかもしれないが、それも自分には乗り切ることが求められていると思っている。