「なぜ働くのか」


  田坂広志氏著の「なぜ、働くのか」(ISBN978-4-569-66015-8)という本を読んだ。働くには思想が必要だと書いている。私自身、「なぜ働くのか」と問われたら、生きていくため、自分がこの世に存在する意味と同時に何か目的があってこの世で生きているのだということを思ってみても、その目的すらよく分かっていない、ましてや思想を持って働いているとはとても思えない。
 なぜ思想が必要かというと、流されないために必要だといっている。つまり思想とは錨だと本には書いてある。それでも、私にはこの意味することが今ひとつ理解しきれていない。それをこの紙面になぜあえて書くかというと、「なぜ働くのか」ということを社員の皆さんに問うてみたいからだ。
 私が生まれてきたことも、そして今日まで生かされていることも自分の意思ではないような気がするが、ある本には、自分で決めて生まれてきたのだと書いてあった。そして人生はすべて自分が決めたことを実行しているだけで、今自分に起きていることはすべて筋書き通りだと書いてあった。
 「なぜ、働くのか」の本には、死生観、世界観、歴史観を持たないといけないとも書いてある。「明日死ぬ」という思いを持ち続けて修業した人の話も載せている。「明日死ぬ」という思いを持ち続けることなど私にはできないが、果たして「明日死ぬ」と思ったら、今をどう生きるだろうか。借金を返済したくとも明日じゃ間に合わないし、家族との別れもあらたまって何かするとか旅行に出かけるとかの時間もないわけだから、今の自分は明日の死を待つしかない。ジタバタしても何もかも中途半端である。ただ残された人たちに対して申し訳なく感じるだろう。なぜなら明日死ぬわけだから。残された人にだって私に対しての思いがあるだろうから、勝手に死んでどうするのだと怒る人もいるだろう。
 この「なぜ、働くのか」という本だが、死生観というところになると、戦争で明日にでも死ぬことになる、そんな中で書かれた「わだつみの声」の手記について触れている。たしかに、戦争という極限の状況に人が置かれたらどうなるのか。死を真剣に思うわけだから、洗練された極みを感じ取ることができるかもしれない。ただそのような状況にならないと、真剣に考えることなどなかなかできない。私の中には死生観なるものはないが、この本のおかげで少し考えさせられた。
 この本の中で経営者のことに触れた文章があって、社員は会社に人生を託しているのだから、経営者には大いに責任があるという文に触れたとき、たしかに社員さんがどんな思いでナビックに入られたのかは分からないが、色々な思いの中でナビックという会社を通して人生を過ごしていることは間違いないわけで、「経営者には重い責任があるのだ」という言葉に、私自身、もっと社員さんのことを考えないといけないのだと思った。
 スポーツ界ではイチローの記録はイチローが死んでも英雄として残るが、それに対して社会に貢献した中内功さんの話が紹介されていた。彼の晩節には会社に対しての厳しい評価があった。「人生晩節を汚さないように生きなければいけない」と書かれているが、経営者とは厳しいもので、どんなに有名になった人でも社会問題を起こした瞬間から、過去どんな偉業を残していようが全く評価されない。ホリエモンにしてもそうだ。堤義明さんにしても世間は手厳しい。ヤオハンもそうで、今では年金生活をされている前の会長さんがご夫婦でテレビに出演されていたが、あのときの勢いはもう見られない。企業が果たした役割がどんなに大きくても、ひとたび問題を起こすと途端に世間はその企業に対して手厳しくなる。食品流通に貢献したとか、社会に貢献したとか、人々の生活に大いに貢献した企業でも、過去の偉業で免責になることはない。
 経営者は今の評価のみで生きることを許されているのだろうか。ビル・ゲイツ氏はWindowsが無くなっても資産家として名を残すことにはなるだろう。日本にはビル・ゲイツ氏は存在しないのか?やはりスタンスが違いすぎるのかもしれない。