「5回目の100キロウォーク」


  福岡の行橋から大分の別府までの100キロを歩く「100キロウォーク」に今年も参加してきました。5年連続で参加していますが、この大会も9回目になります。今年の目標は去年よりタイムをアップさせることでした。去年が19時間でしたが、今年はなんと16時間53分で2時間もアップして完歩できたのですから、持久力がついたと言えます。理由はいくつかありますが、運動量が増えたこともひとつだと思います。
 完歩者は1860人中、1100人だとメールで入ってきました。60%ぐらいの人が完歩したことになりますが、その中に入ることができたわけですし、順位も40位ぐらいだと思います。100キロ歩くバカの集まりの中では本物に近づいているのかもしれません。
 100キロという距離を歩くことを想像できる人と全く想像できない人がいるのですが、1時間平均4キロ歩いたとして25時間歩くわけですが、現実には生活で歩く程度では連続で25時間歩ける人はいないと言っていいでしょう。それに100キロも歩こうなどと馬鹿な気は起きないのが普通です。「我慢して」、「無理して」、「耐えて」やりたがる人もいるのも事実。私がその一人です。
 普段歩かない人が、6時間も歩けばかなり歩いた方だし、それだけでも十分なわけです。ただ私がこれに挑戦した最初の理由は、誘われたことが一番ですが、参加しようと思った中に自分の体の可能性だとか、精神的なものだとか、未体験だからとか、おもしろそうだとか、100キロなんて歩いたことないから歩いてみたい、そう考えた自分がいたことです。100キロなんて端っから歩く気もしない、そう考える人もいます。人それぞれでいいのだと思います。
 生きている間の経験はできるならいろいろしてみたい、経験したくてもできないことはたくさんあるので、機会があればやってみるのもひとつの生き方だと思って参加した100キロウォークも5回になりました。距離に対しての時間的な感覚は自分の中にできたと思います。ただ100キロで人生観は変わらない気がするし、忍耐力が強化されるわけではないように思います。
 少なくとも自分の何かを変えたいと思って挑戦したわけではないように思います。自分の中に経験というものを植えつけたのは間違いないし、達成感、感動、我慢も味わいました。毎回参加する理由は誘われることがひとつ、半端な距離ではないので、そこで何が起こるかわからないのがひとつです。
 そして自分が思った通りにできないのも100キロ、そこには自分と向き合ったとき、誰の責任でもなく、自分が決めて、自分がやるだけだし、自分を励ますのも自分、つまりそこには、自分しかいない、自分と向き合う16時間53分なのです。こんな時間があってもいいと思います。
 では、参加してよかったかといえば、よかったと思います。100キロ歩けるだけの体力、気力が自分の中にあることが自信につながります。だからといって人間性もすばらしいと言えるわけではないので、偉くもなんともないということでしょう。
 レースに参加する人で、自分のことしか考えられない人もたくさんいます。でもその人たちは結構強かったりします。
レースに勝つ=それに集中することで、自分の価値観、人生観はすでに、レース以前で形成されているわけだから、ただ100キロ歩ける体を持っていることに感謝すべきで、それ以外には何もありません。そのことに気づくだけかもしれないし、また何か想像しなかったことに気づくことかもしれません。今思い出しても、真夜中ずっと歩いているわけですが、九州の満天の星空はいつ見てもきれいだし、飽きることがありません。