「ブラックマンデーからの20年」


  以前からお互いに食事しましょうと誘い合っていた新聞社の部長と会食する機会があり、大手町で食事をしました。以前からの知り合いといってもここ2年ぐらい前に知り合ったのですが、話していて面白い方ですので、一度一緒に飲みましょうと誘い合っていたのですが、彼が先に時間を作ってくれて、最近食事する機会を得たのです。
 年齢は私とさほど変わらないのですが、方や東大出のエリートです。ニューヨーク特派員を1980年代に経験されたとのことで、あの「ブラックマンデー」を目の当たりされた時のお話では、体全身から血の気が引く思いだったと、そしてこれは大変なことになったと感じたと言われました。実は、ナビックは「ブラックマンデー」の翌年1988年8月に設立したのです。
 ウィキペディアから「ブラックマンデー」を引用すると、こんなことでした。
『ブラックマンデーとは、1987年10月に起こった史上最大規模の世界的株価の暴落。ニューヨーク株式市場の暴落を発端に世界的同時株安となった。
1987年10月19日の月曜日、ニューヨーク株式市場が過去最大規模の暴落。ダウ30種平均の終値が前週末より508ドルも下がり、このときの下落率が22.6%は、世界恐慌の引き金となった1929年の暗黒の木曜日(ブラック・サーズデー)(下落率12.8%)を上回った。翌日アジアの各市場にこれが連鎖。日経平均株価は3,836.48円安(14.90%)の21,910.08円と過去最大の暴落を起こした。・・・・・・・
 この中、金融緩和を続けた日本では、日経平均株価は半年後の1988年4月には下落分を回復。すでに1986年ごろ始まっていたバブル経済は更なる膨張を続け、1989年12月29日には史上最高値(38,915.89円)をつけることになる。』
このあとバブルは弾けてしまいます。
 なにも知らないというのは、怖いくらいですね。こんな時代背景の中で会社を平気で作るなどということができたのですから。そして、5年計画、10年計画というのを銀行に出していた時代です。経済は下り坂になっていく中で作った会社が、今日まで存続できているのは、その当時、バブルが弾けてもそれほど影響されないお客様とのお付き合いがあったからです。といっても当時、そのお客様もナビックが1年もてばいいぐらいにしか考えてなかったと思います。私もそれくらいにしか考えていませんでした。でも運がよかったのでしょうね。
 バブルで大儲けしたとか昔話によく聴きますが、そんな思いができる時代が終わった後の時代を私は生きてきたことになります。だからバブルのおいしい思いはしたことがありません。バブルが弾けても今日まで生き残れたことが私の経営の基本にある考え方です。
 そして、最近はまた景気がよくなってきたと言われています。人手も売り手市場です。人手は足りないけど、企業の求人は多い。そんな時代ですが、私が会社を設立した時期はまさしくそんな時代でした。求人なんかしても人は来ませんでした、だからナビックは人手が足りない時代からスタートしているのです。そして、また人材が不足する時代が到来しました。今日、ますます大企業と中小の二極化が進んでいる中で、ナビックはどのような選択をしていくのか、秘策はありませんが、進むべき道はあります。「ブラックマンデーからの20年」そして2008年が到来します。私がこの20年間で感じてきたこと、行動してきたこと、経験してきたことが次の瞬間、瞬間を支えているように思えます。
 将来性とは、今、この瞬間、瞬間を精一杯活動している会社にこそあるものです。10年後20年後を予測して、将来性を論じたとして、果たしてその予測が役立つとは思えません。