「仕事の対極」〜仕事が出来ないことより仕事がないことの方が辛い〜


  早くも3月を迎え、新たな仕事への取り組みにもだんだん気分が入ってきた。自分は何か仕事をしていることが一番充足しているように思う。もともと働くことは苦ではないので、全く新しい仕事でも、最初は全く見当もつかなかったのが、何ヶ月か悪戦苦闘するうちに、少しは分かってくるおもしろさを実感しているから、どんなに分からない仕事でもあきらめずに取り組める自信がある。
 会社の経営が十分にやれているとは思わないが、少なくとも今やっている仕事は自分としてはやりがいを感じている。十分にできたかといえばそれはなかなかいえないが、出来なければできないながらに何かしら結果を出して、その評価が与えられる。それが「いい」「悪い」それだけかもしれないが、それでもいい。
 仕事の結果に対して、いいか悪いかはあるが、上手くいかないときは仕方ない。どうこうできるほどの力がなかっただけで、それはそれで経験と次へのつなぎにはなっている。どんな仕事をしても、もし2回目があれば、今度はうまくやれる、そう思うことがあるが、残念ながら「今度」はないので、それを試しようがない。だからやり残してはいけないのだろう。
 分からない仕事をやっていて、結果に対してお客様に満足していただけないときは、こちらも何かやり残したような欲求不満が残ってしまう。しかし2回目がないので、これも仕方がない。粘り強く次の機会を待つしかないが、それはまた別の形で現れる場合が往々にしてあるので、気づかないと見過ごしてしまう。
 どんな仕事も大事で、この仕事が合うとか好きとかずっと続けたいとか思っても、自分の意思に関係なく物事は進んでいくことが多い。だから、あれをやりたいこれがやりたいと要望しても、その通りにならない場合は、自分は選ばれる立場であって、自分で選べる立場ではないということだろう。
 もし、自分に仕事がないとしたら、その理由はまちまちだが、大概自分に責任があるように思っている。つまり振り向かせられるほどの力がないだけだ。
 今、自分には仕事がある。そのことは非常に幸せなことなのだ。会社に仕事があることは、ありがたいと思う。会社の規模、事業内容、資本、売上規模、人はいろんな見方で会社を評価する。ナビックも評価されるのだが、ここに仕事を出してくれる会社がある。そして人がいる。これは何とありがたいことかと実感している。その反対をたくさん経験するから、尚更ありがたさを感じる。
 自分がやりたくても出来ない仕事はたくさんあるし、仮にやれたとしても十分にやれないかもしれなが、何に感謝すればいいのかというと、仕事があることに感謝すればいいと思う。
 会社をやっていて、仕事があって、売上があって、これ以上の満足はないように思うがどうだろうか。仕事がやりたくても出来ない人は、自分に合う仕事が見つからない、または病気をして働けないとか、何かしら理由はあるだろうが、仕事をしている自分とそうでない自分を比較したら、どちらがいいか。少なくとも、常にどんな仕事でも仕事をしている自分でいたい。
 働くことに文句のいいようがないし、働けることに感謝している。そう考えると、自分にとってどんな仕事を与えられるかはさほど問題ではないし、仕事に取り組めることにありがたさを感じる。しかしこれらは、全て対極している。大変さを経験するから、ありがたさを感じることができる。仕事にありつけなくて、何年も探してやっと仕事にありつけたときの気持ちと同じだと思う。
 貧しさを経験すると、僅かばかりの豊かさをありがたく感じ取ることができるのと同じで、その気持ちが良く分かってくる。仕事ができないことより仕事がないことのほうがもっと辛い気がする。人は対極を経験することから物事がわかるようになるのかもしれない。