「評価は他人がする」


  自身の仕事の出来不出来は自分が良く分かっているつもりです。それを他人が評価すると、「あの人はできる、出来ない」と評価が分かれたりします。自分としては良く頑張ったと思うことがあっても、他人はそうは評価しな場合など、果たしてどちらが正しいのかとなると、他人の評価が正しいのではないだろうか、と思えます。
 野村克也氏著「野村再生工場」(ISBN:978-4-04-710151-7)という本の中で、『人間は自己愛で生きている、だから自分に対しての評価はどうしても甘くなる。適正なものではない。言い換えれば他人が下す評価こそがその人の真の価値であり、評価なのだ』と書いています。
 確かに、他人に厳しく自分に甘いという言葉を聞いたりしますが、もし自分で仕事ができると思っても、他人がその人を評価しない場合があります。例えば「確かに彼は仕事はできるが、自分のことしか考えない」とか、「配慮が足りない」とか、いい答えが返ってきません。つまり何か足りないわけです。その何かは他人には分かるが自分には分かりません。
 私は他人がする評価は、正しいと思っています。ただしその人の価値観や基準での評価だと思うことにしています。最近の話で、40歳過ぎのAさんはよく頑張っているように見えますが、年上のBさんは、Aさんの評価となると、「彼はまだまだだね」となります。なぜ?とBさんに聞くと「AさんがXさんに対して、この点がダメ」とか、要するにAさんがXさんのことを良く言わないわけです。
 確かに、AさんがXさんのことを持ち出すのも、何かあるからでしょうが、そんなAさんをBさんが心よく思っていないわけです。評価とはそんなところにあるのかもしれません。
 こんなことは結構身近にある話だと思います。仮に人が自分を評価しているのを直接、間接に耳にしたとしても、悪い話の時は信じない、あるいは、逆にその言った人が分かっていない、その人に言われても「オマエに言われたくない」と思いたくなります。
 だけど、他人の言っていることはそれなりに大事な気がします。自分が変わらなくてよければ、他人の言うことなど聞く必要は無いわけです。そのことで人間関係がうまくいかなかったとしても、それはその人の問題ですから、その人が考えれば済むことです。
 私は他人がする自分に対しての評価は正しいと思っています。なぜなら自分以外のことはよく見えるからです。他人の評価をもろともしない人がいます。何言われてもわが道をいく人です。信念ですが、これは自分の生き方であって、他人がどうこう言ってもしかたないですね。 
 周りの人が仕事について、自分に対していい評価をしてくれなかったら、やはりそこで、「なぜなのか」を考えていく姿勢は、身に付けておいたほうが後々よさそうです。
 他人がする「いい評価、よくない評価」ともにあるわけですが、人はその人の価値観、基準で他人を評価しますから、自分が「いい評価」を受けたとしても、所詮その人のレベルです。そのあたりをきっちり見据えておかないと、ああ勘違いということになるかもしれません。「よくない評価」も同様で、評価した人の価値観、基準で「よくない」と言っているわけです。
 いい評価をされないからといっても、人はそう簡単には変わりませんね。ましてや他人に言われて変わることなど、まずないくらいです。自分が「これではだめだから、変えなければ」と自分で思わない限り自分から変わることはないでしょうね。会社もそうで、自分から仕事する人の集団でなければ、「仕事しろ」と言われてやるようでは、もしかしたら本当に自分がしたい仕事ではないのかもしれません。
 評価した人が他人でも、もし変えたい自分がいるなら、自分が自分を変えること以外に道はないとつくづく感じています。要するに、他人が言ってもダメで、本人が気づいて、自分で何かを変えていくのか、何かをやるかしないと何も変化しません。