「スラムドッグ$ミリオネア」


  このタイトルの映画を先日鑑賞してきたので、そのことを書いてみたい。
 「クイズ・ミリオネア」で10億ルピーを手にするまであと1問というところから始まっているこの映画は、インドのムンバイのスラム出身の主人公が10億ルピーを手にするまでの物語で、クイズに出題された問いは、最後の問いを除けば、すべて彼、ジャマールの人生から得たものばかりだったのだ。だから、答えはその人生を辿っていくことで出てしまった。
 最後の問いだけが、「三銃士」の「アトスとポルトス」ともう一人の名前を当てるのだが、これが分からない。結局、その最後の問いは、「なんとなく選んだ答え」だったところに一番言いたかったものがあるように思えた。つまり人生は運命に左右されているということ。
 映画とはいえ、なかなかおもしろく観賞することができたのは、そのストーリーゆえ。背景にはインドの貧困があり、そのスラムの中から這い上がるのだが、主人公が「ミリオネア」に応募する動機は彼が恋するラティカと生活したいため、それだけだった。もしその彼女がいなければ、応募することはなかったのだから、お金は確かに必要だが、目的はラティカとの生活、その一点だけなのが単純でいい。
 もう一つ、主人公の記憶力が良くなければ、10億ルピーを手にすることはありえなかったと思った。彼、ジャマールが生きていた社会では、生きていくためにはどんな仕事もやらなければいけなかった。そして色々な仕事をやってきた。それだけならその他大勢の人たちと変わらないのだろうが、彼が経験で得た知識を覚えていたことが、10億ルピーを手にすることにつながったと思う。
 僕は勉強したことですらとっくに忘れているので、今回の映画は、やはり映画の世界だから描けたように思う。そんなことを言ってしまうと夢がないが、どの社会でも通じるものが一つあるとすれば、やはり頭がいいことが必要だということ。学歴とは関係なく、覚えることや、考え工夫して生活すること、一生懸命に生きていくこと。要するに頭を使って生きていくことで、やがては大きなものを掴み取るような気がする。
 今の社会では、自分で仕事を選んでいるために、派遣でもなかなか仕事が無い状態になっている。自分で仕事を選ぶということは誰でも考えることで、そのこと自体は良いのだが、仕事が無いから生活できないとなると、これは話が別のような気がする。生きていくことが基本で、社会制度に守られた社会だから、生活できなければ保障される制度もあるので、生死がかかることが無いだけにやりたいことだけを選ぶということになるのかもしれない。
 自分がやりたいこと、出来ること、やりたくても出来ないこと、さまざまな人生があるが、映画ではジャマールは愛に生きた。もっとも若さもあるので、ひとつのことのために生きていけたと思う。
 映画の話ではないのだが、ある社長との会話の中で、こんな言葉が放たれた。「若いときは、苦しくても苦しいと感じなかった。だから何度でもトライできた。」僕もこの言葉に同感だ。若さとは、やはり素晴らしいもの。いつまでも若い気持ちでトライしていたいのが僕の本音だ。ただ、最後は「ただなんとなくそう思った」という運に左右されるのかもしれない。それは決められた運命なのか、不確実な部分として人生に残されたものなのかは判らない。