「ラスト10キロ」


  先日、ウルトラマラソン100キロに参加してきました。参考までに、フルマラソン42.195キロを超えるとウルトラといいます。今回は、あわよくば前回よりタイムが縮まればという思いは正直ありました。タイムがダメでも完走だけは必ず達成する気持ちで臨んだのですが、制限時間13時間の6分前のきわどいゴールでした。完走という目的は達成しました。本当に完走したというだけでしたが、ラストの10キロの走りは、腿の付け根が痛かったり、足が悲鳴を上げたり、体がつらくなると倦怠感が出てきて、リタイアしたい気持ちが大きくなったりしましたが、制限時間内に完走できそうだったので、ふつふつと沸いてくるリタイアの気持ちを抑えて、完走はひたすら走り通した結果でした。
 ラスト10キロ。これは恐らく、100キロの距離を走破する耐久力テストを行ったときに、最後の10キロを耐えられたから完走できたのです。ちなみに完走率は去年だと70%ぐらいです。
 この大会はチェックポイントが6ヶ所あって、その6ヶ所には制限時間が設けてあります。その制限時間内に6ヶ所をうまく抜けていくことが条件です。ひとつでも制限時間をオーバーすると、その時点で失格になります。
 100キロは、後半、体力、特に足の筋力の疲労、乳酸のたまり具合が増していきます。同時に精神的な倦怠感が出てきます。本当にやめたくなります。筋肉や足を使った運動が長時間続くと、当然痛くなります。乳酸がたまってくると、足が鉛の靴を履いて走っているように重たくなって、倦怠感が芽生えてきて走るのが嫌になってきます。
 それらに打ち勝って走り続けるのですが、さらに時間の制限の中で完走しないといけない条件があるので、かなりプレッシャーになります。そしてラスト10キロになると、制限時間まであとどのくらいあるかをみて、走る速さを計算し、その速さで走れるのであれば、ひたすら走ります。ラスト10キロの中で自分が今走れる速さと計算で出した速さを比較して、自分が走れる速さで完走が可能であれば、ひたすら走る、走る、走る、ただそれだけです。
 頭の中で計算した値の走りと今の自分の走れる最大値とを比較して最大値で制限時間内にゴールできる見通しがあれば、もうあとは走るだけです。足が痛くても、腿の筋肉が張っていても、足が鉛のように重たくても、限界を超えていると思っても、体は絶対に壊れないという信念で走り続けます。途中少しでも諦めたらその瞬間に足は減速し止ってしまいます。
 ここが精神と肉体のコンビネーションですが、この連携プレーがうまくいかなければ、多分失速してしまい、時間内完走が夢となって消えていたと思います。そのぎりぎりのところがラスト10キロでした。
 最後は何が支えになるのかと言えば、それは今までの下積みの練習です。練習量が少なかった初回の参加は完走できずに終わっています。あとは、このくらいのことでは体は壊れないという体に対しての信頼を持てれば、持ちこたえることができるように思います。100キロを走り終えてみると、自分の体に対して、この年齢でありながら、親から頂いたこの体の堅牢さにありがたさを感じました。
 歳だから無理しないということはよく聞く言葉です。ですから私のチャレンジを無謀だと感じる人もいるでしょうが、下積みの練習があって実現できたことなので無謀ではありません。裏返せば可能性は年齢に関係なくあることを証明していると思います。マラソンを経営にたとえたりしますが、なにも経営に限らないと思います。こつこつ粘り強く、実績を積み上げていく人、それが地味でも、目立たなくても、あるとき気がついたら自分の人生の支えになっているように思うのです。
 人生は生きている以上は常に歩き続けているようなものです。本人が好むと好まざるとに関わらずです。それに比べマラソン競技はすぐ終わってしまいますから、人生にたとえるのはかなりオーバーな話です。生きている間は常に何かに直面して、何か行動しているので、それが大変だろうが、苦しかろうが「ああ、そんなの、関係ない!」やっぱりマラソンのほうが楽ですね。